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昭和24年
(1949) |
医学部薬学科は、新制大学(4年制)に再編成され、同29年に薬品作用学講座が増設された。 |
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昭和33年
(1958) |
4月、医学部薬学科は廃止となり東京大学薬学部創設(詳しくは薬学部の沿革を参照) |
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昭和33年
(1958) |
独立した薬学部は薬学科(衛生裁判化学、薬化学、生薬学、薬品製造学、生理化学、薬品分析化学、
製剤学、薬品作用学の8講座)1学科で開設された。
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昭和41年
(1966) |
頻発する薬害対策に資するために薬害研究施設が設置され、薬害作用部門が設けられた。薬害研究施設長として粕谷豊教授が、また渡辺稔助教授が着任した。 |
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昭和51年
(1976) |
薬害の研究者の養成をさらに強化するため、附属薬害研究施設が廃止され、
大学院生命薬学専門課程へと改組された。これに伴い、
薬害作用部門が 毒性薬理学講座に転換された。
粕谷豊教授が毒性薬理学講座と薬品作用学講座の教授を1年間併任した。循環系および平滑筋を中心とした受容体反応機構 の研究を展開した。 |
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昭和52年
(1977) |
福田英臣教授が着任し、粕谷豊教授は薬品作用学講座専任の教授となった。
翌年着任した後藤正義助教授とともに、スモン病の病因の研究と中枢性筋弛緩薬を中心とした神経薬理学を展開した。 1982年に小野秀樹助教授が着任するとともに、神経薬理学(GABA作動性薬物およびアドレナリン作動性薬物の中枢作用機構、
運動制御系の神経伝達機構)のテーマを展開していった。 |
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平成元年
(1989) |
3月に福田英臣教授が退官し、同年7月に長尾拓教授が着任し、
研究テーマが循環薬理へと推移した。カルシウム拮抗薬の作用機構、心筋虚血保護のメカニズム、血管内皮由来平滑筋弛緩因子、 およびβアドレナリン受容体脱感鎖機構の研究を展開した。 |
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平成7年
(1995) |
漆谷徹郎助教授が着任し、胃酸分泌機構の研究が加わった。 |
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平成9年
(1997) |
大学院重点化により、分子薬学専攻・機能薬学専攻・生命薬学専攻の3専攻に改組し、
毒性薬理学講座から薬効安全性学教室に改名された。 |
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平成12年
(2000) |
黒瀬等助手が助教授に昇格した。 |
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平成13年
(2001) |
6月に長尾拓教授が国立医薬品食品衛生研究所副所長へ転出した(2002年4月より所長)。 |
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平成14年
(2002) |
4月に黒瀬等助教授が九州大学大学院薬学系研究院教授に転出した。 |
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平成14年
(2002) |
6月に一條秀憲教授 (東京医科歯科大学
大学院医歯学総合研究科 教授併任)が着任し、9月より東大本務にともない、細胞情報学教室に改名された。 |
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平成15年
(2003) |
4月に漆谷徹郎助教授が国立医薬品食品衛生研究所
毒性部 部長に転出した(2005年4月より同志社女子大学 薬学部 医療薬学科 病態生理 教授)。 |
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平成17年
(2005) |
4月に赤羽悟美助手が東邦大学 医学部
薬理学教室 助教授に転出した。 |
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平成17年
(2005) |
4月に武田弘資講師が助教授に昇格した。(平成19年4月より准教授) |
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平成20年
(2008) |
4月に東京医科歯科大学より西頭英起研究員が赴任した。 |
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平成20年
(2008) |
11月にカリフォルニア大学サンディエゴ校に留学していた松沢厚助教がgCOE特任准教授として帰国した。 |
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平成24年
(2012) |
3月に西頭英起特任研究員が宮崎大学 医学部 機能制御学講座 機能生化学分野 教授に転出した。 |
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平成24年
(2012) |
4月に武田弘資准教授が長崎大学 大学院医歯薬学総合研究科 生命薬科学専攻
細胞制御学分野 教授に転出した。 |
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